死とは何か?

「死とは何か?」永遠のテーマともいえるこの問題に、古今東西の偉人や、研究家たちは、どう答えてきたのでしょうか。
タブー視されがちな「死」について30年学んできたことを、分かりやすくまとめてみました。

死とは何かを考えることが大事な理由

死について考えることが大事だという主張は、洋の東西を問わず、変わりません。

死とは何かを考えよ(西洋編)

西洋に

「メメント・モリ」

というラテン語があり、広く知られています。

「メメント」とは、英語で「メモリー」。
「覚えていなさい」「忘れないように」という意味。
「モリ」は、英語で「モータル」(mortal)。
意味は、「死すべき」いう形容詞。
実はこの言葉は、名詞にもなっている珍しい単語です。どういう意味だと思われますか?

答えは、「人間」。
つまり、人間とは、「死すべきもの」、という意味が含まれているようです。

「モータル」(mortal)
━━ 形容詞: 死すべき;
━━ 名詞:  死すべきもの; 人間;

ですから、「メメント・モリ」は、「死を忘れるな」ということ。「死を想え」とも訳されます。

普通、「死」なんて忘れていたいですよね。なのになぜ、こんなことを言われるのでしょう。

答えは、東洋の言葉にズバリ教えられています。

死とは何かを考えよ(東洋編)

「無常を観ずるは菩提(ぼだい)心(しん)の一なり」という仏教の言葉があります。

「無常」とは、常がなく続かないこと。その最大が「死」です。

「死」に目を閉じず、耳を塞がず、見つめることが菩提心の出発点である、と教えられています。
「菩提心」とは、「本当の幸せを求める心」。
つまり、死を見つめることにより、目先の幸せではなく、本当の幸せを求めようという心が起きる、ということです。

「死とは何か」を考えたあの日

私自身にも覚えがあります。
それは、高校生の時でした。
いつもと変わらない朝を迎え、いつもの電車に乗り、いつもの通学路を通って、学校につき、いつも退屈な朝礼が体育館で始まりました。
ところが、この日、校長先生は、こう語り始めたのです。

「昨日、我が校の2年生、Aさんが亡くなりました」

瞬間、体育館が静止しました。誰もが、息をのんで、次の言葉に耳を傾ける。
 
「Aさんは、生まれながらに体が弱く、他県に出るようなことがない人でした。
そんなAさんが、修学旅行にはみんなと一緒に行きたいと言い出したのです。
皆さんも知っての通り、行き先は海外(中国)でしたから、とてもムリだと、両親も担任の先生も反対しました。
ですが、本人の意思が強く、母親同伴で行くことになったのです。
それも最後は、誰も親子でなんか修学旅行に行かないからと説得し、母親も日本に残ることになりました。
彼女は、海を渡り、北京に行き、万里の長城に立ち、そして、無事帰ってきました。
しかし、やはり無理があったのでしょう。その後、病気がひどくなり、昨日この世を去ったのです」

この時、私は、軽いめまいに襲われたのを覚えています。知識としての「死」が、実態をもったものとして私の中に入ってきたように思われたのです。この後、校長先生がどのように話を続けられたのかもよく覚えていません。

私は自問していました。

「後輩が死んだ。
年が上の自分が先でもおかしくなかった。生きていることは決して当たり前ではなかった。
どんな人にも等しく訪れる、死。死とは何だろう? 死ねばどうなるのだろう?」

考えるほどに、自分の生き方がいかにいい加減であったか、気づかされました。

「昨日という一日はあってもなくてもいい一日だった。あってもなくてもいい一日が重なった一年、一生に、どんな意味があるのだろう?
死んでいくときでも安らかで満足できる人生を歩みたい、いや歩まねばならない。
それには『死』は絶対に避けられない大問題だ」。そう感じたのです。
初めてもった死生(しせい)観(かん)によって、幸福感・人生観が変わった瞬間でした。

以来、私なりの「メメント・モリ」が始まりました。小さい頃から、死や暗闇に恐怖を感じていた私にとって、それは苦痛を伴うものでもありましたが、それでも、この問題から避けてはならないという思いが強くあったのです。

死ぬのが怖いときの、間違った対処法 5つの代表例

死ぬのが怖いとき、ついやってしまう間違った対処法が大きく5つあります。

それは次のとおりです。

死ぬのが怖いときの、間違った対処法(1)考えないようする

死ぬのが怖いときの、間違った対処法(2)ごまかす

死ぬのが怖いときの、間違った対処法(3)あきらめる

死ぬのが怖いときの、間違った対処法(4)死後の世界に期待する

死ぬのが怖いときの、間違った対処法(5)死が恐いから死んでしまう

なぜ、これらが間違った対処法なのでしょうか?詳しくは、こちらの無料小冊子【無料進呈】をお読みください。



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死ぬのが怖いのはなぜか? 3通りの「怖い」

一口に「死ぬのが怖い」といっても、死の何が怖いのかを調べてみますと大きく3通りになります。次の3つです。

  1:死に近づくのが怖い
  2:臨終が怖い
  3:死んだらどうなるかが怖い

それぞれ、どのような心か簡単にまとめておきます。

死ぬのが怖い(1):死に近づくのが怖い

 
これは、死に近づくプロセス自体が恐ろしい、という心です。実際に死ぬことや、死んだあとのことは恐くないけれど、「死に近づいていると思うと居ても立っても居られなくなる」、という人があります。
また、死に近づくことも恐いし、臨終や死後も恐ろしいという人もあります。
墜落していく飛行機は、激突に近づくままが恐怖です。トンチで有名な一休さんは、
「元旦や 冥土の旅の 一里塚」と歌いました。「冥土」とは、死んだ後の世界です。年が明けると、みんな「おめでとう」「おめでとう」と言いますが、私たちは一年経てば一年、一日生きれば一日、死に近づいています。死ぬのは嫌じゃ嫌じゃと言いながら、毎日、墓場へ向かって行進しているのです。すべての人が、死へ向かっての旅人なのです。

死ぬのが怖い(2)臨終が怖い

自分の臨終を想像すると、痛み、不安、別れなどがイメージされて恐ろしい、という人です。
ほとんどの人が、臨終の苦しみを死の恐怖としてとらえています。そこで「理想の死に方」に「ポックリ死」をあげる人が少なくなく、PPK(ピンピンコロリ)、ピンピンしててコロリと逝けたらいいなあと思ったりします。このことについては次の扉でお話しします。

死ぬのが怖い(3)死んだらどうなるかが怖い

死後、無になることが恐ろしい。
死後も無意味な永遠が続くと思うと恐ろしい。
死後、ひどい世界に行くようで恐ろしい。
死後、どうなるか分からないことが不安で恐い。
など、死後を恐れる心も、あらわれ方は色々あります。

死ぬのが恐い4通りの理由

なぜ死ぬのが怖いのでしょう。丸山(まるやま)圭三郎(けいざぶろう)という学者が4通りの理由を示しています。次の4つです。

死ぬのが恐い理由(1):肉体的苦痛に対する恐れ

ガンの末期患者や心臓発作を起こした患者は、耐えがたい痛みを訴えることが多くあります。そのため多くの人びとは、死は痛みを伴うものだと考えています。
そこで、「理想の死はポックリ死」、という人が結構あります。
これはどうでしょう?
奈良県に有名なポックリ寺があります。
大阪のある婦人会の人たちが、観光でそこを訪れ、皆、真剣に祈願した。
「長患いで家族に迷惑をかけずポックリいきますように」
「苦しんだりせず、ポックリ死ねますように」
「自分でも気づかないくらい瞬間的にポックリお願いします」
ところが、事件は3日後におきた。
その中の一人が本当にポックリ死んでしまったのだ。
「今度はあんたの番よ、あれだけ真剣にお願いしてたんだから」
「いえいえ、あんたこそ、私より長く頭下げてたじゃないの」
と、〝ゴリヤク〟のなすり合いが始まる。
偏頭痛やら、原因不明の腹痛やら体に支障がきたしてきたものだから、さあ大変。「ああ、いよいよ自分の番か」と夜も眠れず戦々恐々。
そこで、婦人会での議題にあがり、結局最後は、再びポックリ寺へ行き、「この前の祈願はどうか取り下げ願いますと」、前より真剣に願ったという。

「ポックリ死ねたらええなあ」、と考えている「死」はまだ他人ごと、絵空事。
実地に死と向き合うとそうはいかないものです。

死ぬのが恐い理由(2):別離に対する恐れ

親しい者との離別体験を典型とする精神的苦痛です。
私たちは死ぬことによって、これまで親しかった存在、家族や友人、恋人たちと永遠に別れねばなりません。これを考えることは、第一の肉体的苦痛にまさるとも劣らない苦しみででしょう。
さまざまな苦しみの中で、最も切ないもの、それは「別離」だといわれる。
長年連れ添った伴侶との別れ。
わが子をおいて死にゆく悲しみ。
愛しいペットとの突然の死別。
ショックから長年立ち直れない場合もあります。
最後に交わしたのが、ののしる言葉であったという絶望的な後悔やら、なぜもっと優しくしてやれなかったのだろうという胸がかきむしられるような思いやら。
悲しいことに、
「孝行したい時には親はなし。
 墓に布団もかけられず」
は時代を超えて繰り返される過ちのようです。
生き別れならば、再び会える可能性もありますが、死別はその望みも断ち切られる厳しい現実が伴います。なので、葬儀で一番悲しい瞬間は、火葬のときといわれます。「もう二度と会えない」この思いが全身を巡り、人によっては立っておれないほどです。
親しい人との死別を通し、
「あの人の人生は何だったんだろう」
「自分は死を受け入れることができるだろうか」
「死んで悔いのない人生は、どうしたら歩めるのだろう」
と深く生と死を見つめ始める人もまた多くあるようです。

死ぬのが恐い理由(3):喪失に対する恐れ

地位、名誉、知識、特に財産への執着心から生まれる喪失への恐怖も大変なものです。
「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」蓮如上人『御文章』

〝病にかかれば妻子が介抱してくれよう。財産さえあれば、衣食住の心配は要らぬだろうと、日頃、あて力にしている妻子や財宝も、いざ死ぬときには何ひとつ頼りになるものはない。一切の装飾は剥ぎ取られ、独り行く死出の旅路は丸裸、一体、どこへいくのだろうか〟
 先の別離とあわせ、財宝とも同時に分かれていかねばならない苦悩は計り知れないものがあります。
そして多くの人が「一体、今までの人生何だったんだ」と絶望の谷底に突き落とされるといわれます。

前漢の第七代皇帝・武帝は、中国全土を支配し、絶大な権勢と富を誇り、漢時代の最盛期を生き抜きました。そんな武帝が、盛大で、甘美を極めたといわれる宴の最中に感じた次の言葉は多くの人々の胸を打ちます。
「歓楽極まりて 哀情多し 少壮は幾時か 老を奈何せん」(秋風辞)
(歓び、楽しみの絶頂に、哀しさ、空しさが満ちてくる。若く、壮健な時は束の間で、やがて、老いさらばえて人は死ぬ。この哀しくも儚い現実をどうすればよいのか

チャーチルは、第二次世界大戦・戦勝時のイギリス首相であり、1953年にはノーベル文学賞を受賞。そんな彼は、人生最後の誕生日に、娘にこう述懐しました。
「私はずいぶんたくさんのことをやって来たが、結局何も達成できなかった」
九十年の生涯を閉じる最期の言葉は
「何もかもウンザリしちゃったよ」
であったという。
(山田風太郎著『人間臨終図巻』下巻
徳間書店 1987年 より)

 死を通してこそ、「人生とは何か」の本質が見えてくるようです。

丸山氏は、まず、死ぬのが怖い理由として、この3つをあげました。

死ぬのが怖い理由

死ぬのが怖い理由(1)

肉体的苦痛に対する怖れ

死ぬのが怖い理由(2)

別離に対する恐れ

死ぬのが怖い理由(3)

喪失に対する恐れ

そして、これらの、「まことに常識的な死への恐れの形態は、実は根本的なものではない」と断じ、その上で、最後、4番目の恐怖についてこう書いています。

死ぬのが恐い理由(4):死んだらどうなるかという不安と怖れ

いわば〈非-知〉に相対(あいたい)したときの戦慄(せんりつ)である。死がまったく人間の予測や思考の枠を超えた存在であり、死後の世界は不安と謎に満ちたブラックホールなのである。死んだらどこへ行くのか、死んだら自分はどうなるのか、という問いは、現世の人間関係とか財産の喪失とはまったく次元の異なる恐怖をよび起こす。

  (丸山圭三郎『言葉と無意識』)

この「死んだらどうなるという怖れ」については、もっともっと詳しく書かねばなりませんが、詳細は先に紹介した小冊子などで学んでいただけると思います。

死に関する名言

死に関する名言(1)キューブラ・ロス

この世での時間が限られたものであり、 いつ終わりが訪れるのか知る由もないことに気づき、 十分理解したとき、私たちはいやがおうにも、一日一日をかけがえのないものとして生きるようになる。

キューブラ・ロス『死、それは成長の最終段階』結び 中公文庫2001 鈴木晶訳

死に関する名言(2)『7つの習慣』(著:スティーブン・R・コヴィー)

想像して欲しい。

あなたは今、葬儀会場にいる。

飾ってある写真はあなたのもの。

これはあなたの葬式なのだ。

葬式では、4人の人が弔辞を述べる。

1人は家族。

1人は友人。

1人は仕事の人。

1人はコミュニティー(自治会やサークル)の人。

ここで深く考えてみて欲しい。

集まってくれた人に、何と言って欲しい?

あなたの人生について、どう述べて欲しい?

どんな人格に見られたかったのか。

どんな貢献や業績を覚えていて欲しいのか。

残された人に、どんな影響を及ぼしたかったのか。

『7つの習慣』(著:スティーブン・R・コヴィー)

死に関する名言(2)ベンサム

我々は、他人に幸福を分け与えることにより、それと正比例して、自分の幸福を増加させるのだ。

ベンサム

死に関する名言(3)スティーブ・ジョブズ

あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。

スティーブ・ジョブズ

死に関する名言(4)アインシュタイン

私は毎日、何百回となく自分の精神と肉体がすでに亡くなった人々や、生きている人々の労働によって支えられていることを思い返している。だから、私も同じように人々のために献身しなければならないのだ。

アインシュタイン

死に関する名言(4)レーントン・ワイルダー

死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。

レーントン・ワイルダー

死に関する名言(5)梅崎 春生

どのみち死なねばならぬなら、 私は、なっとくして死にたいのだ。

梅崎 春生

死に関する名言(6)アルベルト・シュバイツァー

我は生きようとする生命に取り巻かれた生きようとする生命だ。

アルベルト・シュバイツァー

死に関する名言(7)シャトー・ブリアン

人間が幸福の夢を追うときに犯す大きな過失は、 人間の生来から備わっているあの「死」という弱点を忘れてしまうことだ。

シャトー・ブリアン

死に関する名言(8)キューブラ・ロス

哲学するということは死の問題を研究すること以外の何者でもない 

続・死ぬ瞬間 キューブラ・ロス

死に関する名言(9)ルイス・ニュセラ

人類はまだ未成年であり、死は一つの未成年者誘拐である。

ルイス・ニュセラ

死に関する名言(10)ウィリアム・シェイクスピア

生きるべきか、死すべきか。それが疑問だ。

To be, or not to be : that is the question.

ウィリアム・シェイクスピア

死に関する名言(11)吉川英治

このお盆に生きている全部の人間は、単に今年度の生き残り分にすぎない。

吉川英治

死に関する名言(12)キューブラ・ロス

死に関する疑問を解く鍵が、生を知る手がかりにもなるからだ

キューブラ・ロス『死、それは成長の最終段階』 中公文庫2001 鈴木晶訳

死に関する名言(13)シラー

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。 一つは理想へ、他の一つは死へと通じている。

フリードリヒ・フォン・シラー

死に関する名言(14)ロレンハーゲン

我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、 死においては平等である。

ロレンハーゲン

死に関する名言(15)エレン・スー・スターン

死だけが唯一の本当の締め切りである。

エレン・スー・スターン

死に関する名言(16)トーマス・マン

命というものは、はかないからこそ、 尊く、厳かに美しいのだ。

トーマス・マン

死に関する名言(17)キューブラ・ロス

人が目的のない虚しい人生を送ってしまう原因のひとつは、死の否認である。

『死、それは成長の最終段階』結び 中公文庫2001 鈴木晶訳

「死ぬのが怖い」「何とかしたい」。そんなあたなへ……

「見た目は普通。
けれど内心は死の不安におびえてる」

「いずれは死がくるのも頭ではわかっていても、気持ちがついていきません。
それくらいでは抑えることが出来ない不気味な不安に覆われるんです」

「この死の不安が付きまとうかぎり、自分は何を手にしても幸せになれないんじゃないかって思う」

「幼い頃怖かった死が、再び気になりはじめて…」

「大切な人たちと最後お別れせねばならないと思うと切なくなって…」

「死を考えると怖くてしょうがない」

「どうせ死ぬのに、なぜ生きるの?」

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例えば、このような内容です。

「どうせ死ぬ……」この呪縛から逃れるたった一つの方法
(3000年の歴史、150の思想から分かった結論が
今日分かります)

死の不安解消法、間違った5つの常識とは?
(知らなかったら、一生、本当の幸せになることは難しいでしょう)

どのようにして、死の不安、恐れ、苦しみの根本が
根こそぎ抜き取られるとハッキリしたのか?

(それは、百億円を手にいれるより凄いことです)

なぜ死が怖いのか? 4通りの理由
(自分でもよく分からない恐怖の秘密が明らかになります)

どうやって死の不安を理解してもらえない深い孤独に
サヨナラしたのか……。

(大好きな人に、孤独のメッセージではなく、
喜びのメッセージを伝えられるようになるには?)

上っ面の自信が、腹底からの自信に変わる瞬間とは?
(才能や立場に関係ない、一番深いところから湧き上がる喜びが
分かります)

3通りの死の恐怖があることを知りましょう。あなたはどれ?
(問題を整理しましょう。それが偉大な第一歩です)

どこに死の解決が教えられているのか?
(ソクラテスをも超えてしまう答えが、
ごく身近にあることが分かります)

「死の怖れなし」を詠い、13階段を駆け上った
死刑囚をご存じですか?

(最悪の状態でも、崩れない幸せがあります。
決して英雄豪傑にならねばならないのではありません)

などの答えです。

あなたが恐れている死という問題によって、
毎日の幸せを妨げられないたった一つの道がここにあります。

なぜ無料でプレゼントするのか?

答えは簡単です。私自身がものすごく悩んできた内容なので、あなたの苦しみがよく分かるからです。

最初はペットの死を通してでした。

それから、高校時代の後輩との死別。

「結局、死んでいくのに何であくせく生きていかなきゃならないんだ」

「なんで死なんかがあるんだ」

当時、死を前に立った自分を思い浮かべると、幸せの二字は遠のき、絶望の二字に支配されてしまったものです。

そうすると、何もかもが嘘っぱちに思えてきました。

成績の良し悪し、

わずらわしい人間関係、

業績、

評価

みんな人間が勝手に決めた基準で、大宇宙から見れば滑稽なやりとりではないのか。

それよりも死ぬということこそが現実ではなにのか。

どうして皆、この現実に気づかずに、嘘っぱちの人生を演じ続けているのだろう……。

私は、死生学を学び、哲学を学び、宗教・思想を学びました。

しかし、これといったものが見当たりません。

多くは、死の現象を分析したものであったり、

心の動きをまとめたものであったり、

考え方を変えようとするもの

例えば、

1、死んでも生まれ変わりがある

⇒死んでもっとひどい世界に生まれたらより悪いじゃないか

2、死ぬと思っているうちは死なない

⇒でも、本当に死ぬときがくるのでしょう? 先延ばしにするだけ?

3、死の恐怖は若いうちだけ

⇒それはウソ、恐怖の臨終を迎えた年配の方や歴史上の人物はたくさんいる

4、どっちみち絶対に死ぬ、だから心配いらない。

⇒いつ死ぬか分からないことだけが恐怖ならそう考えればいいかもしれないけれど
そういう問題じゃない。「死」そのものが不安なのであって、問題解決に全くなってない
など。

つまりは、いかに、死の不安をごまかすか、

そういったものばかりでした。

「僕が知りたいのは、建て前や見せかけじゃなくって、本当の幸せなんだ!」

心の中でいつも叫んでいました。

そんな中、フトしたきっかけで仏教を学ぶようになったのです。

最初は偏見だらけでした。

仏教と聞いても、葬式、法事、火の中に何か放り込んで祈る、

そんなイメージしかなかったからです。

ところが、学んでいくと全く違っていました。

アインシュタインを始め、多くの知識人が仏教を絶賛していることにも驚きました。

そしてハッキリしました。

どうすれば死の恐怖が克服できるか

ブッダの教えの真髄を聞けば、死の一大事の根本問題である『無明の闇』が晴れます。

英雄豪傑になれたからではありません。

たとえ気が小さくても臆病でも関係ありません。問題はまったく別の部分にあったのです。

歴史の重さに耐えうる、国や時代を超えた、問題解決の道を、厳選に厳選を重ね、あなたにお届けします。



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追伸

もう一つプレゼントがあります。

それは小説フライザイン~死に対して自由な心を求めた僕と彼女と妹の物語~

です。

一部、実話が混ざった「生と死」を学べる物語です。

ストーリーラインに乗せているので、難解な哲学・思想も理解しやすいですし、

最後まで読み通すことができると好評です。

あなたは十分悩んでこられたはずです。

もう、解決の道に向かって真っすぐに歩み始めて

いいのではないでしょうか?

あなたの悩みが晴れることを心から願っております。